北海道に残るひな人形

北海道の「雛祭り」は、江戸時代からありました。
松前の武家、江差・函館の商家では祝っていたようです。

日本海ではニシン漁期と重なるため、小正月(1月15日ごろ)に雛を飾り、女年越しとともに祝う家が多かったといいます。

江戸期の雛の数々が、噴火湾の有珠「伊達市開拓記念館」に伝えられています。最も古いのは徳川家光時代の「寛永雛」。
伊達家に嫁がれた歴代の奥方が持参したもので、それを開拓期(明治4年)に北海道に持ち込んだのは、伊達一門の亘理領主・伊達邦成の養母・保子(佑姫)です。

姫であったにもかかわらず、開墾の場に出向いて手製のだんごを与え、奮起を促したと言います。
所持品を売り払い金策に奔走する邦成を助け、自ら養蚕事業にたずさわるなど、今日の伊達市の基礎に尽くしました。そのような中でも手放さなかったのが、この雛たちでした。江戸の大奥「篤姫」と同世代で、良く比べられる姫です。